社会運動の転換点となった1968年を起点として、当事者運動は分岐していく時代に入り、半世紀が過ぎた。国内における精神医療ユーザーの当事者運動では、数々のオピニオンリーダーたちが積年の沈黙を破り、自らの人権を守るために声を上げ、そこからの連帯によって当事者組織を編み上げてきた。特に、人としての尊厳を傷つけられる医療経験を経たサバイバー(生還者)らは、新たな人生を生きていくリカバリーの過程で、「自分と同じような経験をした人へ」という、他の当事者へ向かう「利他のベクトル(利他志向)」を選択し、巨大な歯車とも言える精神医療システムの力と対峙してきた。
仲間と共にリカバリーの道を拓いていくセルフヘルプやピアサポートの歩みは、同じ生活圏にいる隣人に留まらず、社会の片隅や閉鎖病棟で苦悩している「囚われ、抑圧された未知の仲間」との出会いへと向けられ、それが精神医療システムを変えようとする当時者運動の原動力となってきた。他者の苦悩へのシンパシーは、「仲間のために社会(医療や生活)を変える」活動となり、他の当事者が苦悩から解放されることと自身の解放が同時にもたらされるセルフヘルプが、当事者運動の原理となっているとも言えよう。
当事者の生活から運動までのあいだには、自身のリカバリーのための活動(セルフケア)から、生活圏にいる隣人同士の当事者活動(ピアサポート)へ活動が放射状に広がり、その外縁に存在する全ての当事者の救済を射程とした活動(社会運動)へと向かう、グラデーションがある。
当事者自らによる運動が当事者市民の生活を底上げすることについて、変革を志向する多くの当事者、支援専門家ら周辺の関係者は、その働きに共鳴し、連帯の意志を示しつつ期待してきた。しかしその結果、当事者運動へ向かう生活者の生活に、多大な負荷がもたらされていることは否めない。ときに、運動と生活のはざまで、就業するか否かの選択を迫られるような葛藤に苛まれたり、収入を得る社会生活との両立が困難なゆえに運動から距離を置かざるを得ない選択もなされただろう。あるいは当事者運動をめぐる人間関係のなかで、激しい摩擦や誹謗などに晒され、疲弊し、個人の社会生活が茨の道(生活や健康を損なう道)となっていった人々も少なくないのではないだろうか。
このような構造のなかで、当事者運動の担い手は覚悟を決めた特定の人々に限定され、障害当事者も支援専門家も、社会を変える当事者運動の担い手としての役割を、無給の献身的な「運動当事者」に、間断なく容赦なく求めてきたのではないだろうか。
次号では、当事者運動に携わってこられた人々と共に当事者運動の軌跡を振り返りつつ、その運動が社会にもたらしてきたものと、担った人々が経験してきたものの明暗を問う。当事者運動が拡大し持続可能なものとなるために、運動と生活のはざまに立つ生活者にとっていかなるありようが必要なのか、また、当事者運動に関わる支援専門家や周辺市民は、何を理解して連帯すべきなのか、様々な観点の論者の視点を通して多角的に探求したい。
≪目次≫【巻頭言】吉池毅志/【特集】[座談会]当事者運動を続けることと生活のはざまで…たにぐちまゆ+山田悠平+堀合悠一郎+山本深雪+吉池毅志/[論文]横山紗亜耶+伊東香純+相川章子+関口明彦+彼谷哲志+倉田めば/【連載・コラム等】[視点]「精神医療国家賠償請求訴訟の判決報告」古屋龍太/[連載コラム]「精神科医をやめてみました〈7〉」香山リカ/[連載]「バンダのバリエーション〈16〉」塚本千秋/「世界の果ての鏡〈6〉」太田裕一/[リレー連載]「同人のいる風景〈2〉」藤本豊/[書評]『共生社会のための精神医学』栗田篤志/[紹介]『黴の生えた病棟で』長崎和則/【編集後記】山本深雪
2025年1月20日刊行予定 ISBN9784904110416(税込1,870円)