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精神医療 第7号

特集「学校教育と精神保健」

[責任編集] 氏家靖浩+高岡健

精神医療 第7号

 

 その昔のある精神科医は当時の名称で「教育基本法と精神保健法が目指すところは、同じと思いたいが、それぞれ別な道をたどり、違うゴールを目指しているような気がする」と語りました。この意見の妥当性はともかく、学校や教育の立場も、精神科医療、精神保健の立場も、心の健やかな人間関係があちこちに築かれ、みんなが楽しい日常生活が送れることを目指しているのでしょうが、ちょっとずつズレが大きくなってきているような気がします。これは仕方がないのか、それとも、やはり舵は修正されるべきところに来ているのでしょうか。

 本誌では2016年7月刊行の第4次83号(通巻158号)で「学校と精神医療」が特集されましたが、それからもう丸5年が経過しています。ほぼ同じ対象となるでしょうが、もう少し広くとらえて「学校教育と精神保健」という切り口で、学校という場、教育という事象に精神科医療と精神保健という実践、理念は、どう向き合っているのか検証してみたいと考えました。

 そして何より、現在の学校教育をめぐる精神保健に関わる課題は、ある意味で出そろっている感があります。学校教育の基本設計図である学習指導要領によって、学校では授業として精神保健を取り扱うことになりました。このことについて、精神科医療・精神保健関係者は、きちんとした情報を得ているでしょうか。「初めて知った」という方もおられるでしょう。いじめをめぐる精神保健上の問題点を指摘する声もあるでしょうが、いじめに向き合う現場に関わっている精神保健関係者は、果たしてどれくらいいるのでしょうか。

 今はインクルーシブ教育システムの時代とされ、何らかの暮らしづらさを抱えていても、みんなで共に生きていこうという時代です。もちろん、その理念と実際が同じかどうかも検証されるべきでしょうが、ずっと昔の記憶をもとに学校や教育システムのあら探しだけが得意な精神保健関係者も、まだおられるのではないかと心配になります。

 前述の本誌第4次83号のサブタイトルには「病んでいるのは子どもか?学校か?」とありましたが、もしかしたら「精神保健の立場が一番、病んでいるのでは?」という視点で、この機会に少しだけ、冷静に議論をすすめてみたいと思います。

【目次】

【巻頭言】氏家靖浩/

【座談会】伊藤陽子+小田中しおり+森谷就慶+氏家靖浩(司会)/

【特集論文】小浜明/庄司智弥/坂後恒久/瀧波慶和/

【視点】桐原尚之「地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会」/

【連載】森山公夫「精神現象論の展開」/田中千夏「リエゾン精神看護事例検討会」/塚本千秋「バンダのバリエーション」/

【リレー連載】姜文江「精神医療における弁護士活動」(仮)/

【コラム】太田裕一/

【書評】渡邊乾「伴走型支援」(奥田知志、原田正樹著) /

【紹介】栗林英彦「ADHD大国アメリカ つくられた流行病」(アラン・シュワルツ著)/

【投稿論文】力久愛「医療機関で働く精神保健福祉士の業務からみた業務指針の検討」/

【編集後記】高岡健


ISBN9784904110300(税込1,870円)